災害とヘルパー

 

その日は朝から寒かった。長男は、今日もバレーの練習と言い毛玉だらけのジャージを着ていた。「そんな、毛玉だらけやめたら良いのに。まっ、いっか。1日くらい」と呟き学校に送りだす。私は寒いけど、春っぽい服を着ていこう。前日まで、介護支援専門員の実務研修で、3泊4日分の衣類は全部洗濯にだしていた。薄着で家をでたのだ。靴なんか、今日で最後にして捨ててしまおうと思っていた靴。

前日までの疲れを引きずって、仕事。入浴介助が2つもある。でも、スタッフには私が不在中対応して貰っていたから少しでも楽をして貰いたかったのだ。

電話がなり、午後の入浴介助1件がキャンセルになった。空いた時間にパソコンで仕事をする。時計に目をやると、長女の下校時刻。

ものすごい地鳴り。大きく揺れる。

2011年3月11日金曜日

あの日から、私の苦悩は始まった。ヘルパーとして大きな過ちをおかしたことに苛まれてきた。ヘルパーとしても、母としても私は失格者のレッテルを貼ったのだ。