賭け

クリント・イーストウッドの映画を観た。
テレビから流れている映像を、ぼーっとみていただけで内容はあまり
覚えていない。高齢になった主人公が隣のアジア系の家族と仲良くなり、世話をみる
ようになっていく話だった。最後はその隣の家族をマフィアから守るために、けん銃を
持っているふりをして撃たれて亡くなる。マフィアは捕まり、隣の家族は平和になる。
というあらすじだった。「クリント・イーストウッド相変わらずかっこいいな」と
ぼやっと考えていた時だった。
ふと、3年前になくなったご利用者を思い出した。
もしかしたら・・・。
ALSを発症していたMさんは、病気を受けいることができないまま呼吸器に繋がれ
た。そんな時に、私は出会った。
正直「死にたい」しか言わないその方にどう関わって良いのかわからなかった。
長い関わりの中で、「死にたい」から「起きたい」に変わり、一緒に桜を見に行く
こともできた。
他愛のない会話をいつもしていた。天気はどうだ。今日は看護師さんは誰だったか?
よく賭けもした。今日は誰が来る?相撲は誰が勝つか  とか。
賭けに勝ったら、一つだけ言うことをきくという報酬もつけていた。
いつも、引き分けか私が負ける。特に、相撲の賭けには弱い。
賭けに負けた私のくやしがる顔を見て、いつもニヤッとしていた。
鬱病を発症していた奥様と二人暮らし。介護疲れがピークにきていた奥様と喧嘩が
絶えなくなった。コミュニケーションツールはパソコン。時々、そこに文字が打ち
こまれる。
ヘルパーや看護師さんへの苦情は一言一句間違いのない文章。そんな時は、「なんで
こんな長い文章は間違えることなく入力できるのに、奥様への”ありがとう”は
入力できないの?」と私に言い返される。そんあことを聞くと、またニヤッとする。
その賭けが最後になるとは思わなかった。
相撲の優勝は誰がするかという賭け。賭けの報酬は、お互い1つ。
私が負けたら、一つだけ言うことを聞くこと。
Mさんが負けたら、奥様に「ありがとう」のメッセージを書くこと。
私は初めて賭けに勝った。意気揚々と、訪問し鼻高々にして賭けに勝ったことを
言い、約束を促した。「もう、書いた」と、私にパソコンを見せる。
ずいぶん抗った、「ありがとう」だったが私はOKを出し証拠と言い写真を
撮らせてもらった。もちろん、本人同意で。
その後、本人の不注意でその画面は削除されてしまい、しばらく探すことに
なったけど、体調が悪化し文字を入力することができなくなった。
「もう少し、体調が回復したらまた書きましょう。写真も撮ったから大丈夫」と
いうと安心して眠りについた。そのやり取りが最後だった。
映画を観た後、そのMさんを思い出し涙がでた。
”あの賭けは、わざと負けたんだ”
自分の最後が近いことを悟っていたMさんだった。ありがとうを残したいと思って
いたんだと3年後に気づいた。
きっと、今頃は雲の上で「してやったり」と笑っているだろう。
賭けに勝ったと大喜びしていた自分が恥ずかしくなった。
私はまだまだ、未熟者だ・・・と雲にむかってつぶやいた。
「がんばりなさい」いつものエールが聞こえたような気がする。
 
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